生きる

人間は何で生きているのだろうか。
昔恩師が自分の子供に人間が生きるのに何が必要かと問うた。
子供曰く「お金」と答えたらしい。
生化学的アプローチを期待していたのでがっくりしたそうだ。
人間は死にたくないからか生きているからか何かに期待しているから生きているのだと思う。
生物的本能でいえば子孫に遺伝子を託すために生きているのかもしれない。
社会的にいえば社会運営ひいては自分の名を残すために生きているのかもしれない。
あるいは自分の快楽のために生きているのかもしれない。
いやそもそも何のために生きているというわけではないのかもしれない。
死ぬのが怖くて死ぬ人も、生きるのが怖くて死ぬ人もいるというのになぜ生きていく人がいるのか。
いや、自ら死を選ぶほうが特異ではあるか。
僕自身の考えでは生きることには意味がない。
だから生きている間にやりたいことをやればいいと思っている。
なるたけ反社会的なことは後回しにしたほうが効率的ではあると思う。
しかし生きるためには様々なものが必要だし、それらを得るためには金が必要である。
口に糊する仕事が必要である。
しかし仕事は社会的なものである。
責任が伴うのである。
日常生活をも浸食し、好きなことを出来にくくさせるのである。
ではどうすればいいのだろうか。
短時間もしくは日常的にできる行為を好きなことにすればいいのである。
鼻歌を歌ったり、思索をしたり、会話やメールなどの意思疎通を行うことである。
空を眺めたり、川を眺めたり、人の営みを眺めたり、物事の経緯を観察をすることである。
独り言や、指ならしや、ペン回しでも構わないかもしれない。
どんな行為であれ自分が生きていることを再確認できるだろう。
僕が生きている理由は自分を認識し続けたいからだと思うのでそれでいいのである。