自分ルール

皆さんは自分ルールという言葉を知っているだろうか。
これは自分で勝手に作ったルールという、まあそのままの言葉である。
自分ルールという、勝手に作ったルールなどをこの世に容認してもいいものだろうか。
たとえば場が盛り上がって、この後呑みに行こうぜとなった時、
「自分ルールで水曜日は休肝日なんですよ」
なんて言われたら場もしらけるってもんである。
そういうことはあらかじめ周囲に知らしめて共通の認識にしておくのが大人の対応ではないだろうか。
仮に知らしめる暇がなくても、「この後運転しないといけないのでウーロン茶でご相伴します」
などといえばまだ場もしらけないだろう。
人間というものは社会的な生き物である。
今あるルールだって明文化されたものにせよされてないものにせよ、
多くの人の手で考え出され、多くの人の承認を得、多くの人の容認を得、現存しているのである。
そして多くの人の手で改変されまた承認、容認されていく。
そんな中で非社会的、反社会的な『自分ルール』などというものを勝手に作る輩は一体何なのであろうか。
人間は他者と切磋琢磨しながら高みを目指すものである。
それを自分という小さな枠でルールを作り、より社会に資することもせず、
自己満足に終始するとは何とも情けない限りである。
しかも、合理的ではないこのルールを導入することにより、
ただでさえ小さな自分の枠をさらに狭めてしまうのである。
これはもう間抜けというよりほかはない。
皆さんも自分ルールなどというくだらないことにとらわれず、
他者との共通認識の世界で、社会に参画しようではないか。