僕は花言葉が嫌いだ。

花に対して勝手な印象を植え付けてそれを当然だと思っている。
傲慢だ。
花言葉が好きな人は傲慢という名の人言葉を飾って生きるといいよ。
たとえば好きな花を人に贈って、ありもしない勘繰りを食らうなんてばかげたことだろう。
僕は花の香りが苦手なので人に贈りはしないが、
そういう話を聞くたびに、花の美しさそのままを受け取ればいいのにと思ってしまう。
花に対して悪い意味の花言葉をつけた人は性格がねじ曲がっていたのだろうし、
そんな人たちの言葉に振り回されている人を見ると哀れでしょうがない。
花言葉が好きな人は哀れな人と言う名の人言葉を飾って生きるといいよ。
でもその植物が好きすぎて良い意味の花言葉をつけるのなら僕はほほえましいと思ってしまう。
なにかを好きという気持ちがこの世の中で五本の指に入るほど素晴らしいものだと思うからである。
愛する人に贈る花の花言葉はいつだって「あなたを愛しています」だろうと思うのである。
と、ここまで書いて言いたいことが混ざっていることに気づく。
言いたいことその一
花は花でありそれに特定の意味づけをするのは人の傲慢。
言いたいことその二
昔の人の考えに染まって現実を直視できないのは哀れである。
言いたいことその三
たとえ傲慢だとしても、すてきな感情を元に、すてきな花に対して、すてきな花ことばを各個人の裁量でつけるのはほほえましいものである。
言いたいことその四
花ことばで困った時はその場の機転で自分でつけよう。そうすれば花言葉として流布されているものが下らないものだと相手も気づくことであろう。
言いたいことその五
花はすてきなものである。しかしながら僕は花の香りが苦手なので近辺には置いておきたくない。
ただし積極的に排除すべきものとも思っていない。
整理できたので結論。
花ことばを好きになるくらい花が好きな人たちへ。
その花を素直な気持ちで見てください。
その花についている花ことばを素直に受け入れますか。
その花ことばにどのような由来があろうとその花はその花であって由来となった花ではないのです。
たまたま種類が同じなだけなのです。
あなたがもし花に願いを託すのなら、
それは先人の言葉ではなくあなたの言葉であるべきではないでしょうか。
そうやってあなたが贈る相手との二人きりの花ことばをいくつも作っていくことが、
花が好きなものにとっての幸せではないのでしょうか。
その素敵な花はいづれ枯れてしまうかもしれませんが、
すてきな記憶とともにいつまでも咲き続けるのではないでしょうか。
どうか、花を素直な気持ちで見てください。
そのとき心に浮かんだ言葉が先人の言葉よりもずっと素敵なものであると僕は信じています。
    
ちなみに私にはABO式の血液型で人の性格を判断する人を見ると、鼻で笑ってしまう悪い癖がある。